ふぉと@えくうす

2匹の犬と暮らしながら、北海道・青森の原野の馬を撮影しています。 平成18年、キャノンギャラリー銀座・札幌で写真展「最果ての馬-根室・青森」を開催いたしました。次回の個展に向け鋭意撮影中です

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寒立馬考2

今日の一枚kandatime7

寒立馬 青森県下北地方 尻屋
現在の青森県東部から岩手県北部に至る「南部地方」は昔から「南部馬」という良馬の産地として知られています。しかし「下北地方の寒立馬」の発祥は南部馬とは異なった経緯を歩んできています。
下北地方には在来種として蒙古系の馬がおり、この馬に外来種を導入し生まれたのが「田名部馬」で、寒立馬の直接の祖と考えられ、その発祥については次のとおりです。

1456年(康正2年)『東北太平記』に現在の下北郡川内町に居を構えていた豪族・蠣崎蔵人が軍馬として大陸から数百頭のモンゴル、ロシアなど大陸系の馬を輸入したという記録が残っています。
蔵人は南部氏との戦いに敗れ北海道に去り、これらの馬は下北の地に残されました。南部方はこの馬たちを在来種の改良に使い、誕生したのが「田名部(たなぶ)馬」であり、寒さに強く粗食種に耐える馬であったと伝えられています。
その後下北地方には南部藩の官牧、大間(おおま:開牧1615~)・奥戸(おこっぺ:開牧1573~)の二つが作られ、「南部馬」の血はこの頃入ったと見られます。
更に1818~1829の文政年間には、南部藩の御馬奉行・蠣崎安忠が気候・風土に適応した品種の作出のためモンゴルから種馬約100頭を輸入し改良を行いました。

これら田名部馬は藩政時代から明治・大正・昭和に亘って「四季置付」と称し周年放牧されていました。しかし明治時代になると、小柄な日本馬を軍用馬として利用するために外国種(アングロアラブ・トロッター・ハクニー・ブルトン・ペルシュロンなど)との交配を行う馬格向上政策が全国的に推し進められ、各地で在来馬の混血化が進みます。
特に南部地方は明治政府における軍馬生産の中心地であっただけに、南部馬への外国種交配は盛んに行われました。外国種を優秀・在来種を劣悪とするこの政策は、やがて寒立馬の祖のひとつ南部馬の絶滅につながってしまいます。しかし、北海道や島嶼部に一部交雑を免れ純血を保った馬たちがおり、それが現在残る「日本在来馬」と呼ばれている馬たちです。
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えくうす:管理人。馬と犬を愛する大台に乗った女。
アレックス:管理人の長男。2005.1月2日生まれのコリーサイズのシェルティー。毛色はバイブルー。管理人と生月日干支が同じ。
ロンサール:管理人の次男。2005.6月3日生まれのわがまま甘えたのアフガンハウンド。毛色はレッドブラックマスク。

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