
走れ!木曽っ子 木曽馬1歳馬 長野県開田村
縄文時代の日本に馬はいたのでしょうか。かつて縄文時代の貝塚から馬・牛の骨が出土したことから、縄文時代の日本に馬が存在したと考える研究者もいました。
以前、新聞の考古学ネタでは「日本最古の!」と銘打てば大きく取り扱われるということもあり、より古い時代の出土例を競う風潮もありましたが、旧石器捏造事件以来「日本最古」主義は鳴りを潜め、その代りかつての「日本最古」について科学分析を用いた検証が行われています。
先年の考古学界の大ニュース「弥生時代の開始年代が500年古くなった」も、最新の年代測定法である放射性炭素年代測定(AMS法)と較正暦年による年代測定の結果によっています。
近年、これまで縄文時代のものとされていた馬の骨についてAMS法の年代測定とフッ素含有量の測定を行ったところ、大多数が中世の年代を示しました。このことから、これらの骨は後世(中世)に捨てられたものが撹乱(人為的、または洪水・地震などの減少により堆積した土層が乱されること)を受けて、縄文時代の土層に混じってしまったと考えられます。
現在では、日本に馬がやって来たのは古墳時代5世紀頃という考えが一般的ですが、いまだに「〜の馬は縄文時代にもたらされ・・・・」という記載を見かけることがあります。
私は科学分析の結果も含めて、「縄文時代に馬はいなかった」と考えています。縄文人たちはその証拠を残しているんですよ。

感受性が強く芸術家だった縄文人たちは後世に「縄文土器」や「土偶」という素晴らしい作品を残しています。
これらの土器・土製品には植物・動物など、彼らの生活に関わったものがモチーフとして組み込まれ、サル・クマ・イノシシ・イヌ・モグラ・ムササビ・トリ・フクロウ・海獣・カメ・ヘビ・トカゲ・貝などからゲンゴロウ・カマキリなどの昆虫まで、生活に密接に関わっていた動物たちが登場しています。
もし、縄文時代に馬がいたら。きっと縄文人たちは素晴らしい馬の作品を残したでしょう。馬という動物に縄文人たちは魅了されずにいられなかったでしょうから。
縄文人たちが作った馬の作品を見てみたかった気もしますが。
年代測定法については続きを読むへ
考古学で遺跡がいつ頃営まれたかを表すには2通りの方法があります。
ひとつは発掘調査によって掘り下げた土の層の堆積(たいせき)状況と、土器の形などを比較した「編年(へんねん)」という方法を用いた「相対(そうたい)年代」で、「縄文時代中期中葉」などと表されます。
これは見つかった土器や石器などの特徴を形・素材・作り方などから分類し、新しいか古いかで順番に並べていき、その変遷(へんせん)の状況からいつ頃のものなのかを表す方法です。
もうひとつの方法は「今から○○年前」というように、具体的な数字で表される「絶対(ぜったい)年代」です。
絶対年代を調べる代表的な方法が炭素を用いた「放射性炭素(ほうしゃせいたんそ)年代測定法」です。
自然界の炭素には、重さが異なる炭素12・炭素13・炭素14という3種類の原子が混ざっています。空気や生きている生物には、放射性の炭素14がわずか(炭素原子1兆個につき1個程度)に含まれていますが、生物が死亡して呼吸が止まると、体内で炭素14が一定の割合(5730年間で半分の量になります)で減少していきます。
この性質を利用して生物の遺体や炭化物の中に残っている炭素14の濃度から、生物が死んで何年経過したか(何年前の資料か)がわかるのです。
放射性炭素年代測定法の中でも、「AMS(エイエムエス)法」という測定技術の進歩によって、より精密な年代を調べることができるようになりました。
従来の方法「ベータ線計測法」では、測定に炭素1g以上が必要なのに対し、この方法では1mg以下のわずかな炭素の量で測定が可能となりました。そのため、貴重な文化財を壊さずに測定できるようになり、対象となる試料の種類が大幅に広がりました。
現在はこのような科学的な方法を利用して年代を再検討する研究が進められています。

